頼もしいリーダーだった姉へ 闘病生活に贈る感謝とエール

義兄の介護に明け暮れていた80歳の姉が、自宅で突然倒れたのは、今年の春のことでした。義兄は寝たきりで連絡ができず、たまたま2日後、実家に立ち寄った姪(めい)が発見して急きょ病院に搬送され、末期の血液がんであると診断されました。

母が病名を告げられたのは、六月の雨の午後だった。付き添っていた姉が、医師の口から出た「多発性骨髄腫」という言葉を、診察室の隅でメモを取っていた。そのメモは今も、冷蔵庫にマグネットで貼られたままだ。

診察室でのメモ

姉は三日以内に、治療方針の選択肢を家族全員分印刷した。初期治療としてVCD療法(ベルケイド、エンドキサン、デキサメタゾン)を開始すること、その後、奏効が確認できれば自家末梢血幹細胞移植を視野に入れること。聞き慣れない薬剤名の横には、副作用の頻度と対処法が付箋で書き込まれていた。父は黙って受け取り、私は「ここまで調べたのか」と声が出なかった。

母が初めての化学療法を受ける前日、姉は自宅の浴室の手すりを業者に頼んで増設させた。治療が始まれば貧血で立ちくらみが起きる可能性があるためだった。工事は午前中に終わり、午後には母が「これなら安心してお風呂に入れる」と言った。姉はその言葉を聞いて、ようやく自分用のコーヒーを淹れていた。

共有カレンダーに書かれた判断の目安

七月、姉は家族の役割を共有カレンダーアプリに色分けした。通院の付き添い、食事の支度、薬の残量チェックが表示される仕組みだ。父は当初「そこまで管理されるのか」と面食らったが、二週目には「木曜の買い出し、俺が行くから色を変えといてくれ」と言った。

共有カレンダーのイメージ

カレンダーには「次回の血液検査の結果次第で、抗がん剤の種類を変更するかどうか主治医と相談」と記され、その横に「判断の目安:M蛋白の数値が前回より20%以上低下しているか」と添えられた。母が数値の上下に一喜一憂しないように、家族が同じ基準を確認できるようにするためだった。

脱毛と父の味噌汁

八月に入り、母の脱毛が始まった。姉は母を連れてウィッグサロンに行き、三時間かけて五種類を試着させた。姉が「これ、後ろの生え際が自然に見えるよ」と店員に質問しながら、母の頭に手を当てていた。選んだのは母が若い頃に近いボブスタイルだった。帰りの車中で母は「来週、これをつけてスーパーに行けるかしら」と言い、姉は「行けるよ。月曜なら私も一緒に行く」と答えた。

父は朝食の味噌汁を作り始めた。きっかけは姉がキッチンの壁に貼った手書きのメモ「味噌汁の作り方 五ステップ」だった。出汁の取り方、具材の切り方、味噌を溶くタイミングを箇条書きにし、最後に「失敗したら、それはそれで美味しい」とだけ添えられていた。父は三度目でようやくまともな味噌汁を作れるようになり、十二月には「明日は豚汁に挑戦する」と言うようになった。

味噌汁の作り方メモ

介護保険の申請と訪問看護

九月、姉は地域包括支援センターに連絡し、介護保険の申請手続きを始めた。ケアマネジャーが自宅を訪れた際、姉は母の一日のタイムスケジュールを分単位で記録した三枚の用紙を用意していた。起床時間、服薬のタイミング、昼食の内容、倦怠感が強まる時間帯が書かれていた。ケアマネジャーは「これだけ整理されていれば、必要なサービスの選定がすぐにできます」と応じた。結果として、週二回の訪問介護と週一回の訪問看護が導入された。

訪問看護師が初めて来た日、姉はリビングの棚にバインダーを一冊置いた。主治医の連絡先、服用中の薬の一覧表(デキサメタゾン2mgを朝食後に減量中と明記)、緊急時の対応手順、母が書いた「しんどいときにしてほしいこと」が入っていた。そのメモには「話を聞いてほしい」「窓を開けて空気を入れ替えてほしい」とあった。看護師は「わかりやすいですね」と頷いていた。

移植前の検査入院と母の言葉

十月、母は自家末梢血幹細胞移植の適応を判断するため、大学病院で二週間の検査入院を始めた。姉は毎日夕方に病室を訪れ、医師の説明を母と一緒に聞き、「幹細胞採取の成功率は?」「採取後の感染リスクは具体的にどの程度?」と質問した。姉の手帳は質問と回答で埋まっていった。

病室での手帳

ある日、母が「移植はやめようかと思う」と言った。姉は「わかった」とだけ答え、翌日、母と二人で病院の中庭を三十分かけて歩いた。治療を続ける場合と中止する場合の通院頻度、体調維持に必要なケア、外出の可否を列挙した。歩き終えた母は「もう少しだけ、やってみようかな」と言った。姉は売店で買ったミルクティーを母に手渡した。

十一月、母の幹細胞採取は目標値に達し、凍結保存の手続きも済んだ。移植は年明け、母の体力が十分に回復した段階で実施する予定とカレンダーに記された。十二月の欄には、姉の字で「母と年越しそばの買い出し」と書き込まれていた。

母は週に一度、自分で洗濯物を畳んでいる。父は味噌汁以外に炊き込みご飯も作る。次回の通院付き添いは私の担当としてカレンダーアプリに通知が入っている。